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26日10時から同和更生資金貸付金償還金調査特別委員会が開かれた、前府議、松田英世への証人喚問で
大浦氏(元担当部長)から言われ、30万円を保証人の分と認識して払った、と言った。 これは職員が肩代わりをした内容とは異なるものである。 あくまでも保証人になった(解放同盟鳴滝支部の役員をやっていた時期で、府議の時ではない)ことでの義務を果たしたという。 役職については忘れたが、大浦氏が見えられ、保証人になっておられるが責任を果たしてもらいたい、と言って来られたと記憶している。払ったのは借入額の上限の30万円だったと思う。 保証人の分と認識していた。 誰の分なのかはわからない。保証人になった事は記憶しているので誰の分かは確認せず信用して出した。 私(小山)は、直接の質問ではないが これまでの元職員の証言で明らかになったナンバー2(当時は助役)以下複数の担当が組織的に協議をし回収率を上げる為に元助役が100万円、元部長が50万円から30万円、10万円、5万円を肩代わりして、それを市長には言わないあり方に対してどう思われるのか。 又、この結果が差別が今も根強くある中で、誰に問題がおよぶのかを考える時、このような行政の対応のあり方について、思うところがあれば述べて頂きたい、と言う主旨を聞いた。 証人は、どのような理由で出したかということがこの委員会では聞かれている事と思うので、その事に対しては述べたくありませんと言った。 これで証人喚問は終わり、今後証言内容様を協議をして、どのようにしていくのかの審議が行われていく。 委員会構成は 角谷委員長、井原副委員長、 松本、成田、北出、南、中尾、木下、小山 オブザーバーとして竹田議長。 #
by koyama_h
| 2012-01-27 15:47
東京の都民投票請求署名の応援に行って来た。
深夜高速バスでの往復。 24日夜から雪が降って、25日夕方までこうっていました。 昨夜は韓国食堂でチジミ、鍋と生ビールで交流をして、そこの名物オモニと写真も撮りました。 今日朝、なんばに降りて新世界まで歩いて散髪。 それがトップページの写真。 西成警察をにらむ様に『負けるな』西成(NISINARI)シンゴ(sinngo)の顔大写し看板が凄い(下の写真)。 友人にあって橋下市長の 釜が変わらなければ大阪は変わらない、という事について意見交換。 その感覚が良い。 現場に立つ事が大事である、特に釜では。 釜から大阪を日本を、世界を見る。 そこから見える世界こそ世界なり 現場が人を、命を生み出す。 世界を変える事は出来ないが、自分を変える事は誰もが出来る。 変えるのは「私(たち)」である。 変わるのは私(はしもととうる)である。 ナマステ開いてます。 #
by koyama_h
| 2012-01-25 12:34
東京の人たちの感じのいい「原発の是非は市民が決めよう」の取り組み
昨日23日、は午後からやっと新宿の事務所に伺って事務所内での手伝いができました。 電話かけのやさしい「品のよさ、質の良さ」に感心する。 夕方、港区の事務所に地下鉄で迷ってまた元の東新宿に戻ったりして向かった。 青山1丁目の駅を地上に上がると雨が激しく降っていた。 道を丁寧に教えてもらい、三宅坂を登り、カナダ大使館を右に曲がり事務所に着いた。 どの方々も素敵。 どうしてこんなすばらしい人がおられるんだろう。人ってすばらしい。 運動は人をすばらしくし、あったその時から何の疑いも抱かずすっと入っていける。これって何なんだろうね。至福というものである。 『師を持てば友達ができますよ』とは我が師、曾我りょうじゅんが言った、と母から聞いたことを思い出します。 師を運動と置き換える。 事務所には4人が作業をしていた。 手伝う。 雪が降ってきた。 そこに素敵な若者が一人が帰ってきて、しばらくして街頭署名からひっきりなし、と言ってずぶぬれになって3人が山本太郎さんも来ていたよ、と。 無名な、若い女性の呼びかけ、太郎さん以上だった、といっていた。 大阪のあの終盤、バンバン署名が集まる状況が東京でも起こっていることを実感する。 私は早めに寝袋の人になったが、遅くまで集計作業などをやっておられた。 この世の中は確実に変わりつつある。 うまいどんぶりをいただき、お風呂に入った。 4人といま一緒に雑魚をして起きました。 みんなまだ寝ている。 今日は街頭に出て手伝いながら雰囲気を感じ取っていきたい。 昨夜の雪もベランダのはその積もった形跡はありません。 しかし、この5階から見えるビルの屋上は白く積もったままである。 今夜のバスで大阪に明日、早朝着き、泉南に午前中に帰ります。 それにしても東京は大きい。 #
by koyama_h
| 2012-01-24 07:40
こんなことがあるのかと驚いている
『刑事は殴る蹴る、運動の名目で道場で投げる。(略)食事抜き、水を与えず、狭心症の発作を起こしてもニトロのスプレーを見せて「これが欲しいんだろう、欲しいならサインして指印を押せ!」と言われても死んでも押すものかと思って気を失うまで耐えた。これは拷問であり(略) 死刑と人権の最新号に載っている 大阪中央局私書箱1191号 発行:かたつむりの会 http://saluton.asablo.jp/blog/2008/09/10/3754686 『名古屋拘置所より 確定死刑囚 兼岩幸男 初めまして、私は名古屋拘置所で生活している未決死刑囚で 兼岩幸男といいます。「死刑と人権」は161号から差し入れをしていただいてます。仙拘の若林君の紹介で送っていただいたと思います。いろんな事が載っていて知識をいただきます。又、洗礼らしいことはしていませんが2006年から岐阜拘置所支所で牧師様に教えをいただいております。 11月1日に最高裁の第三小法廷で上告審弁論がありましたので最近の北村君の例ですと年内には確定の判決を出され確定死刑囚にされてしまうものと思われます。私は「2女性殺害」の罪で逮捕され岐阜県警で取調べをされ、自殺した女性とその約4年後に他の女性の潰れそうな会社の支援をしているという事が気に入らなかった当時交際していた女性に包丁で刺されそうになる無理心中からの正当防衛の冤罪を2件とも殺人であるとされ、一、二審で死刑判決を受けました。 私は同和地区(桑名市下深谷部)出身で私生児として生まれ、母子家庭で育ちました。私の父は韓国人なので私は「合の子」です。 いじめられたり、悩んだりで、辛いこと、悲しいことがいっぱいあったけど、「あなたは合の子じゃない!ご両親の『愛の子』なのよ!」と言ってくれた女性と結婚して幸わせに暮らし双子の兄妹の子供も出きました。仕事も貧乏だったので高卒ですが頑張って上場企業の部長にまで出世したのですが、DV(ドメスティック・バイオレンス)に旦那さんから遭っていた女性を助けたのですが、その女性は更年期障害、アルコール中毒、パチンコ依存症で自殺してしまいました。その4年後に異業種交流会で知り合った四歳年上のマルチ商法にはまって保母さんをしていたときの退職金1000万円をなくして、なおかつ600万円の借金があるのでお金を貸したり、私の仕事上の関係の外食やコンビニの掃除をする会社を設立してやり、コンビニも一店舗経営をさせ息子さんの20歳の人を店長にして毎月親子で50万円位の収入があるようにしてあげたのですが息子が毎晩夜遊びをして昼間コンビニの倉庫で「起すな!」と貼紙をして眠ているのでコンビニの従業員が職場ボイコット寸前になる状況になったので店長を外して掃除の営業をさせたら、たった一日で胃が痛いと言って京都の実家へ帰ってしまった。 同じ頃、私が店舗開発部長をしていた『焼肉屋さかい』というジャスダック上場企業の不採算店のリストラ店舗を貸していた女性経営者が経営していた鉄板屋の店と中華料理店の二軒とも潰してしまって従業員の給料や食材の仕入れ代、電気、水道代まで未払い金があったので前者の女性の時のように当初240万円、その後もどんどん未払いが出てきたのでトータルで900万円程の金を貸してあげたら、前者の掃除会社の女社長になった女性が嫉妬して私に「あの女はあんたを自分の物にしようと思ってるんや、私にはわかる」などと言うようになって、私の自宅や勤務先へ電話をしたり、最後には私の会社に乗り込んで私と付き合ってるって言ってやるとか、あんなの自宅へ行って奥さんに別れてあんたと一緒になると言い出すやらで私の携帯番号に5分ごとにメールを打ってくるやらでノイローゼになりそうだった。 そしてある日、彼女に「すぐに来てくれんかったら死んだる!」と言われ駆け付けると、包丁を両手で握った彼女が「死んでよ!一緒に死んで!」と言って包丁を向けて体当たりして来た。私は父親が韓国人であることを知った25歳まで母の籍に入っているので日本国籍だったので自衛隊に在籍していたため武道や格闘の訓練を受けているので、彼女の体当たりを避けて彼女の後ろ側に回り込み包丁をとりあげて奥の居間に彼女を連れて行って座らせた。そして小さな机の上に私の荷物と包丁を置いて彼女を落ち着かせた。そして大丈夫かなと思った時に再び彼女が机の上にあった包丁を取って私に向けたので油断していた私は反射的に彼女を突き倒した。そこまでは記憶があるが気が付いた時には彼女に馬乗りになって(彼女の胸の上に乗って)必死に彼女の首を絞めていた。 だから正当防衛なのであるが刑事と検察は私が彼女が邪魔になり前述の後者の女性と付き合うために殺したというストーリーを捏造したのですが、私は「正当防衛」と言い切った。殺害を認めない私に対し警察は4年前の自殺した女性の件も殺人というストーリーを加えて、なおかつ私の知り合いで行方不明者2名を足して私は4人殺害をして川や海に捨てたというストーリーは作られたのであるが韓国人の女性は帰化して日本人と結婚してペットショップを経営していたし、もう一人の男性は大阪で働いているのが確認され4人殺害はなくなり2人殺害の調書を捏造された。 そんな物に署名して指印を押すわけがないので刑事は殴る蹴る、運動の名目で道場で投げる。しかし、受け身は出来るし自衛隊で鍛えた体には効果ない。食事抜き、水を与えず、狭心症の発作を起こしてもニトロのスプレーを見せて「これが欲しいんだろう、欲しいならサインして指印を押せ!」と言われても死んでも押すものかと思って気を失うまで耐えた。これは拷問でありニトロを与えないのは殺人未遂なのです。 そして、ついに何を言ってきたか「いいかげんにしろ!こちらの言う通りにしないとお前の年寄りの韓国人の父と母親をどんな理由をつけてでもしょっ引いてお前にしてやったように水も与えずトイレにも行かせず長時間取り調べてやる!どうなる?心臓の悪い父親と血圧が高くて足の悪い母親は疲労とストレスで死ぬかもな」「それとも子供を小学校の前に立たせて『この子たちのお父さんは人殺しなんだよ!だからこの子たちは人殺しの子供で韓国人の子なんだよ!』って言ってやろうか?子供は一生心に消えることのない傷がついてお前を恨むだろうなぁ」と言われたらギブアップです。 警察や検察が捏造したデタラメの調書に署名・指印するしかないでしょう。署名・指印しない人がいたら『犠牲の心』はないのか聞いてみたいと思った。そして俺が死刑になって殺されれば済むならば、それでもいいと思って署名・指印した。逮捕後40日目に来た国選弁護士にさえ嘘を言って『俺が殺した』と言い続けた。 そして一審の後半に前述の内容を法廷で話し、刑事も机を蹴った事などは認めたが裁判長は無視して死刑判決。その時、取調べ中に刑事が言った『朝鮮人や韓国人は皆殺しにしてやる!死刑にして地獄に落としてやる!』が悔しい。 この続きはもう送らないかも知れません。支援者も金もなく再審請求も出来ないので死刑執行が始まったら真っ先に逝きます。 今後は友人宅へ送って下さい。 11月29日午後3時判決に決まりました。 【編注】 最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は11月29日に上告を 棄却する判決を言い渡し、死刑とした一、二審判決が確定した。 「兼岩幸男救援会」 〒496-0017 愛知県津島市百町字光善地46番地 市来正博 様方 080-5114-3942』 #
by koyama_h
| 2012-01-21 22:48
私を除く議員の申し合わせ(法的には4年であるが1年で交代)による議会ポストの改選で
11月の臨時議会で正副議長は改選したが、それ以外が決められず、19日の再議会で 全役職が決まった。 三役は 竹田 議長 和気 副議長、南 監査 常任委員会 総務 堀口委員長、副 中尾、 委員=真砂 大森 森、谷 北出 厚生消防 河部委員長、副 原 委員=竹田 成田 松本 南 産建 井原委員長、副角谷 委員=和気 梶本 木下 小山 委員会 議会運営 中尾委員長、副大森 委員=梶本 真砂 角谷 南 特別委員会 空港等まちづくり対策 木下委員長、副大森 委員=河部 中尾 小山 谷 北出 堀口 行財政問題対策 梶本委員長、副真砂 委員=原 森 井原 角谷 成田 松本 成田 23年度(補正)予算審査 井原委員長、副梶本 委員は原 真砂 小山 谷 松本 北出 堀口 同和更生貸付金償還金調査 角谷委員長、副井原 委員=南中尾 木下 小山 成田 松本 北出 議会基本条例調査 北出委員長、副 真砂 委員=原 中尾 大森 角谷 成田 堀口 議会報編集 小山 委員長、副 原 委員=梶本、真砂、大森、角谷、南 清掃事務組合議会議員 和気 真砂 小山 竹田 谷 北出 農業委員会委員 原 木下 松本 堀口 開発公社評議員 和気 梶本 真砂 小山 竹田 井原 角谷 成田 審議会委員 都市計画 河部 大森 森 北出 堀口 不動産評価 河部 井原 堀口 公害対策 梶本 原 木下 大森 森 角谷 総合計画 梶本 中尾 木下 小山 井原 谷 成田 南 部落差別などあらゆる 差別の撤廃と人権擁護 河部 原 森 角谷 松本 北出 南 住居表示 和気 竹田 井原 堀口 医療問題懇談会 河部 和気 原 竹田 2012年 葛(つづら)畑で出会ったおばーちゃんが亡くなられましたが 『念ずれば華開く』と頂いた字が残っている。 願う事を東北大震災後、思っている。 願(ねがい)なんて頼りないと思うけれど自身がその思いを信(知)じないい事が如何なものか。 自分との格闘だ。世論の中身は願いではないのかな。 私は昨年の暮れから只管(ひたすら)に願い続けていた。 平岡秀夫法務大臣に死刑に判を押さないで、とメールを毎日の様に送った。新聞にも投稿。ツイッターで呟き、友に願おう!と言った。 代わった小川敏夫法務大臣にも死刑をしないでとメールを送っている。 12月の本会議で向井通彦市長と議論もした。 亡くなった命の願いは殺せではないはず。 政治の役割は安心社会をつくる=犯罪をなくす事。 事件から学び、被害者救済を社会的に行うべきだ。 死刑は事件を個人の問題にして政治責任の放棄である。 世界では139カ国が死刑廃止、存置は58。 19年ぶりに死刑が願成就で無かった。 今年は命を奪うを正義とする2つ(戦争と死刑)の内、残る死刑制度を無くす年に、と願う。 12月議会の報告 国保料の資産割廃止に伴い限度額5万円⇒63万円に、所得割り19%の引き上げに 反対11(公明3、共産4、北出、河部、梶本、小山)対 賛成3(森、南、真砂)、退席4(堀口、木下、谷、角谷)で「市民の声が反映され」否決だった。 府の教育基本条例反対意見書は 賛成 8(共産4、角谷、谷、小山、真砂)対 反対10(公明3、堀口、南、北出、森、梶本、木下、河部)で否決。 誰が悲しむ 同和厚生貸付金回収での調査(100条)特別委員会で証人の堀口議員は楠本(元健康福祉部長)から『5万円を立て替えた』と聞いた。 真砂議員は前府議から『30万円を出した』と聞いた(この事で1/26日喚問)。 元上林助役は100万円払ったが市長には言わなかった。 中谷元副市長は元大浦人権推進部長から、と寄付を求められ4~50万円を出した。 元大田部長は2回に分けて10万円を出した。 楠本、大浦氏も肩代わり寄付を認めた。 元解放同盟鳴滝支部長で元市議の巴里氏は肩代わりには関わっていない旨の証言をした。 市長が判断を求められたら、この事が誰を悲しませるかを考えて、止めろと言ったはず。と私は市長に言った。 調査の結論を受け市長は責任を表明するという。 プール事故に対する議会としての「100条」調査委員会設置の動議を 19日本会議で成田議員が出したが否決(共産・小山は賛成)された。 #
by koyama_h
| 2012-01-21 21:41
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