今日23日は
冤罪の林眞須美さんを助けてください
助けることができるのはあなたです、私たちです
と、これまでは言わなかった、「助けて!」
と言う言葉で言ってJR和歌山駅でビラを配りました。
今月は何時もの人が3人も来れなくて、常連は私だけだった。
時々来られる女性が今日は少ないと聞いたので、と来ていただいて
(写真の)横断幕を忘れて行ってしまって、その分、マイクで張り切って訴えをしました。
女性のお一人もきっちりと論理立てて事件当初の事からの事を振り返って、冤罪事件特有の状況を丁寧に訴えるもので
ビラとりも良かった様な気がしました。
駅員も警察も全く来られず、のびのびと表現の自由を満喫しての訴えでした。
私が話しているそばに来られて、
拡声器の方向を駅の改札に向け変えてくれる人も現れて、
どこからですか、と聞くと
そのべ(園部=カレー事件のあった地域)、と答えられ、ごつい手でギュッと握り返していただいた職人風の方が
がんばって、と言うので、
がんばりましょう、
と何時ものことですが言葉を返させていただきました。
(眞須美さんは殺人を)やっていないのか、と聞き返す年配の女性もおられました。
冤罪をなくして
いくのは私たち主権者住民である、冤罪を訴える林眞須美さんを助けてください、と訴えました。
行きも帰りも車で一人で、
途中眠気が起こって、スーパーの駐車場に止めて、気持ちよく一眠りして、帰って来ました。
証拠に基づいて警察は捜索をやらないと再発防止にもならない
やったんだろう、という事で
有罪にしては被害を受けた人も、社会的要求である再発防止にもならない。
事件が起きて2か月も証拠になるものを家に置いておくはずがない、と考えるのが普通の感覚ではないのか。
眞須美さんはやっていないと、と言い続けている
流しの下の誰もが見えるところに置くなんて常識で考えられない
証拠が無ければ証拠をつくるという様な事も現実的んは起きてもいる。
警察も民主的な組織にして間違っている時には、間違っていたといえる
組織にしていかなければならない。
警察は自由にものが言えるようにしないと
警察官も家に帰れば市民であって
給料が下がるとか
立場が無くなるとか
という事で本当の事が言えない事で
間違っていた、という事が言えないあり方は警察官のためにも、直していかないと
冤罪は無くならない。
冤罪がある社会はみんなにとって不幸な事である。
疑わしきは罰しない
疑わしきが罰しられるなら、人間は周りを基準に生きなければならなくなります。
自分を基準に生きる事は、自分独特な生き方になり、そういう人は変わっている、と思われがちで、それはまた変な人、おかしな人と思われがちであり、
それをしないようになって、
それは戦前の同じかっこうをするようになって、
人生が他人を基準にして生きなければならないようになってしまいます。
そんな人生はつまらない。
そういういわゆる常識なるものは、マスコミがつくりだす。
疑わしきは罰しないという事は99人の犯人を取り逃がすことがあっても
やっていない人を罰しるという事の意味は99人を取り逃がすよりも大事だ、という事である。
そんなことを訴えました。
大阪市を5つに割る構想がストップしましたが
橋下徹さんのような政治家はこれまでとは異なる、
いわゆる市民派である。
裁判の場にも
裁判員制度という事で普通の市民が入って判断をするようになってきている。
これは専門家も出世とかそれと付いて回る給与とかという事一人の人間としては当たり前に気になって
専門家としての立場よりも、一般の市民よりは名誉や待遇が良いだけに
むしろ気にして、
まっとうな、ちゃんとした判断が出来ないという事で、
「普通の市民」、
市民派と言う存在があらゆるところに入ってきている。
冤罪を晴らしていくのは、いけるのは
私たち立場を持たない、市民が行う方が、
よりちゃんと真実に判断が出来るというのが、
その流れである。
冤罪を晴らしていけるのは、あなたです、私たちです。
冤罪の林眞須美さんを助けてください
助けることができるのはあなた、です、
私たちです
林眞須美さんを助けてください
と訴えました。
昨日、その前一昨日は、住吉区に行って、住民投票の結果を踏まえてのアッピールと以下のビラをポスチング、
道でお会いをした方との政策で結びついた人たちと
語らいを楽しくやってきました。
今回の住民投票で一番喜んでいるのは、橋下徹さんではなかったのか、
また、大阪市民、大阪府民でもあった、と言う様な事をお話をして来ました。
一番良かった、と言う意味は
誰にとっても良い、という事であろう、だから,一番なんである。
しばらく、住吉行が続く状況です。
体が不思議と住吉に向かうのです。
そういう中で地元にも、という事で
一昨日は岡田浦駅の西口に7時半から1時間立ちました。
久しぶりやね、と言われました。
私は泉南市民であると同時に、
大阪府民、日本こくみん、地球人であるな。
2015年5月20日
みどりの未来
(小山広明後援会)ニュース
大阪府泉南市樽井7-8-3
☎090-3922-1900090-3922-1900 ☎475-1055
URL:「小山広明」で検索可
sennannkagayaki@yahoo.co.jp
市民自ら自治を守る
最後までハラハラドキドの5月17日の深夜だった。
10,741差(0.984%)
で市町村自治を大阪市民ひとり一人705,585人が守り、市民の立場に立った改革を694,844人がせまった、
ゼイタクな結果である。
投票率66.83%・費用は7億4000万円程、無効票は5000票程と言う。
市民は主体的に市政運営に積極的に関わって行ける状況を自らつくりだした。橋下市長の「思い通り」にいかなかったことが橋下さんにとっても一番いい形で、それはまた住民にもとっても「良い事」である。
住民が決める、と言ったことを素直に思うなら(橋下市長が『間違っていたんでしょうね』、と言ったことは矛盾するが)、まさしく住民自らが自治の大阪市を創るという判断は、府民にとっても大事な意味のあるものであった。
それが「一番」の意味。誰かを犠牲にするものは、一番とは言わない。
私は橋下さんのためにも自治を破壊する大阪5分割はストップしよう、と言って来た。しかしこの僅差は全く予想だにしなかたった。 「思い通りにいかない幸」母の言った言葉である。
議会の決定に従わない想定外の橋下徹の出現によっていわば民主主義のもうてんがつかれての手の施しようもなかったお手上げ状態の中で、それを救ったのは主権者住民だった。
橋下徹と言うたぐいまれな弁舌によって主権者夫々が目覚めた、目覚めさせられた。橋下市長は記者会見で『民主主議のレベルをアップし全国で一番政治に精通している市民』と言わしめた、住民投票だった。
4月12日、私の府議選報告
私は選挙公報を活かすには地縁血縁によらない、無い方がより効果を持つ無縁の地、大阪市住吉選挙区定数2から立候補し
小山 広明 無 1530
青山 浩無(自)8536
若井 英子 共産 11362
中村 広美 公明 17959
川崎 大樹 維新 22977
<4・27供託金60万円は
違憲の異議申出をした>
府議には府民であればどこからでも出れる。むしろ地縁血縁の無い所からの方が政策がまっすぐに伝わる地縁血縁は広がりを欠く事になる。
また、地縁血縁選挙は、政治の私物化にもなりがち。この事が一般の市民の政治への関心を失わせている。
選挙は主権者国民の大事な権利で、誰もが出ることが保障され、対等に、公平に行えるように成っており、その具体が選挙公報である。これを活かした選挙を候補者、有権者が共にする必要があると訴えた。
知り合いのいない、いてもそこには行かず、街頭演説と連日の個人演説会7回=延参加7人、選挙はがき8000枚(出せたのは6000枚ほど)、新聞広告を半分のスペースで毎日、朝日→大阪市内版で148,770円で載せ、ポスターはㇼソグラフで刷り142か所、投票日前の11日の18時10分に張り終え1人選挙が出来た。
橋下政治をストップするには政党では出来ない。それは『政党を優先し、住民の事は後回しに』と批判されているからだ。 主権者一人という立場で立ち向かう時、橋下氏もある意味一人であり、ハシモト政治はストップできる、と訴えた。
その私の選挙公報は
『選挙管理委員会の選挙公報こそ大事な1票判断の根拠に!市5分割は市町村自治体を弱め、府の自治体支配をまねく
自然(太陽)エネルギー 活 活用・軍隊によらない平和創り<姉妹都市提携などで>は自治体の政策。
憲法は自治体で活かす43市町村は対等な自治体。それを支援する大事な役割を果たす大阪府に!
《小山のプロフィ-ル》
1942年岩手県で生まれ福井で育ち大阪に(大工)就職。32才時世界21ヶ国エコで旅、市長選に挑み選挙7度目で泉南市議初当選。その後、市長に立候補落選、その間参院、知事、府(3)に立ち、13回落選。昨年5月5度目市長に挑戦し、今回、無縁の地から地縁血縁によらない選挙公報を活かした選挙を府民としたい。選挙は一人で立つもの、恋愛の様でチョウ楽しい。『苦は楽の種、楽は苦の種』のおばーちゃんの言葉に励まされ、歳を重ねる良さを伝えたい。真宗門徒・緑の党会員・大阪市立都島第2高(夜間)建築科(64年)卒。
100%介護状態の春さん大阪市議選に立った
釜ヶ崎で炊き出しをやってきた、いる「春さん」中尾春男さんが選挙に出る、と言ったら《何ができるの》と言われ、しばらくたって、間違っていた、と言って来た。
私は選挙を普通の事に、と会う人に選挙に出ない、と言って来た。「まったく何にもできない(聞こえ見えてはいる)」春さんが即座に出る、とお世話をしている方を通してまばたきで言われた。
よもやこういう方、それが出られた。誰もが出ないという言い訳が出来ない状況をつくり出した。
その春さんの大阪市議選西成区選挙区で<寝たきりの大革命>の
選挙公報が全有権者に選管によて配布された。
春さんと書いた316票。入れなかった人に何で?が今後問われ続ける。最もしんどい状態に置かれている人が安心して生きれる様にするのが政治をやるものの共通の課題であるはず。
春さんの立候補は、大事な本質的な問い、みんなが共に立っている存在そのものの意味を問うものである。
そしてこの位置はみんなが共通に立っている場である事が重要である。
人間のこざか(小賢)しい能力主義が抱えている出口のない世の中を、根底からすくい取るパワーを持った春さんの「何もできない」存在になって初めて気付かされる気付きは、全ての存在が持つものであろう。
投票で示された一人一人の意思とは直接には無関係の投票総体としての「意思」は、人知を超えた、時代・社会的意思を示すものとして人間その存在自身に立ち返って考える必要があるのではないだろうか。
人間は素敵で素晴らしい。