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朝、新家東和苑、楠台にビラを配布、帰りテニスコートによると91歳の現役テニスマン(写真の方、ちゃんと撮れていなくて御免)がおられた。 この道80年とか。 歳を重ねるのは素晴らしい。 老若男女混ざり合っての命の世界、サンガである。 この方のサーブは受けられない、と横の方もそれに近い方である。 有り難う。 帰ってパソコンを開くと フエースブックに書き込みが f さんから 「先生!(と言われるのは嫌いでしょうけど) 議会で非建設的な議論が少しでも行われる現状は問題です。しかし、首長に信念やリーダーシップが無いとすれば大問題です。 誰に投票するかは、投票行為であらわします。僕は選挙に出られる方からは政策を聞きたいと思っています。合わせて、議会もチェックはしながらも首長に託すことも重要と思います。 仮に当選すれば市長として何をしたいか、はっきり言って欲しいです。その上で判断したいし、好き嫌いで決めるわけでもありません。 一若輩の要望で恐縮です。」 のご意見を頂き 以下の返事をさせていただきました。 市長の政治力は市民の立場に立って議会で決まった事を公正に、分け隔てなく、市民にきっちりと説明をして行政運営を行う事が首長としての政治的責任である。 一方、議会は様々な立場の市民の意見を背景に議論をして、一つの政策を創っていく、決めていく、ところだと思うのです。 他人の意見を尊重し、そこから学んでいける自分の意見に固守しない自由な心が醸し出される議会と言うのはとっても人間にとって素晴らしい場であろう。それが活かされるためには議員を選んだ主権者市民が市の中身を最も知り得る事が絶対必要です。 だから市民に分かる情報を出せる、出す信念を持った政治家が必要なのです。 だから市民の声を反映するために複数、18人の数が必要なのではないでしょうか。 しかし、執行は一人の政治家が公平に特定のものに利益を与えない様にやる政治的責任が市長にはあるために、一人なんではないでしょうか。 これが決める権限が議員と共に市長にあるとすれば、お金と人事権と仕組みに詳しい職員を持ってふるまわれたら、議会、議員がなんぼ束になってかかってもかなわないでしょう。 それが現実なのです。 実際には市長案が追認され、根本のところでのチエックは現実的には出来ていないのが泉南市だけではなく、全国の自治体の現実です。 市長案を通すための情報しか当然に出しては来ませんから。 それが5年で事業化するという事で、40年間も銀行から金を借り続け、借りた金額の5倍を超える様な66億円(実際の値打ちは13億円)の借金の返済を、銀行にはびた一文負けてくれとも言わず、子供に付けを負わせる内容を市民の立場に立って政治的判断すべき議会は賛成多数で可決をしてしまっているのです。 いったいどこの、誰の議会か、である。 これは実際には国の責任であり、そこんところを市民から選ばれた議会がその根本のところを突く議論と判断をしなければならなかったのです。 決めるのは議会 執行は市長 執行においての課題、問題を市民に分かりやすく説明するのが行政の、長としての一番大事(政治)な、民主主義にとって重要な市民に分かる情報を公開する事である。 これが実際には難しい事である。 情報を持つものが権力です。 だから議員でもなく、市長でもなく 主権者市民こそ、真の情報を持つべきであって、市長こそ「市民そのもの」であるという政治的信念が必要であります。 それが「市民派市長」と言う存在意義です。 これは誰でもが出来る事ですが、誰もしないという側面を持つものでしょう。 人間は誰でもできる事に価値を置かず、誰も出来ない事に価値を置く変な生きものです。民主主義は当たり前が良い、と言う思想、考え方じゃないんでしょうか。 そうでなければ私の様な人間は議員にも成れないし、なろうとさえ思ってはならないんだろうと思います。 まして市長になろうとするなんてもってのほかなんでしょうが、「普通が良い」、普通でよい、と言う私の民主主義理解が、『大胆』にもこの町の実力者に「ふつう」を力に挑んでいける幸せを感じ主権者市民一人ひとりに大感謝しています。 良い町です。大好きな泉南市民です。 有難うございました。
by koyama_h
| 2014-01-29 13:27
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