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<写真は国の殺傷処分方針の中生きた瓦礫として生き続け、原発問題を告発し続けている「希望の牧場」の入り口で、24日16時写す> 東北から 今朝、7時半帰って来ました その 報告会、4月30日18時から 「ナマステ」にて 行った5人によるを体験をお話します。 樽井駅から歩7分 泉南市役所前の道を海に下って、旧26を超えてすぐ右側にあります。 いっぱい考えさせられた 福島でした いわき市でねぎを取りいれられていた ご夫婦とお話をし 持って行った 夏ミカンをもらって頂き、ねぎをどっさり頂いて来て 今炒め、煮たりして頂きました。 目の前に見えた仮設住宅を訪ね 会長のお連れ合いや3人の女性とお話も出来、あがってお茶まで頂きこころよく受け入れて頂きましたました。 少しばかりのカンパをもらって頂きました。 帰路の途中、会長さんからお礼の電話を頂きました。 衣類も気持ちよく頂いて頂きました。 海岸に行った。 神社があって 堤防のすぐそばなのに津波が来て「鏡でぱっと右左に津波が分かれた」、と良い顔で話して頂いたこの神社の主の方ともご夫妻でひたしくお話を頂いた。 お茶も酢漬けやお菓子も頂きました。 私(小山広明)は今年はダイヤクだと言われました。 堤防の傍には瓦礫がいっぱい積んであった。 量が多すぎて手が回らないんだ、と後でお話を聞いたいわき市議の佐藤さんのお話でした。 福島県の瓦礫は、一切県外に持ち出していない、ということも改めて確認させられました。 コンクリートの基礎だけが周りに残る中でメニューいっぱいのお店を見つけ、今回行った5人でそばを頂いた。 約束の午後 いわき市議の佐藤和良さんに 一緒に行ったK子さんが、質問される形で現状を聞きました。 そこで紹介いただいた 市民が放射能検査をやっているところに行って見学をする。 人も検査できるものも見せて頂いた。 匂いが気になっていたがニラの検査をするのに細かく刻んでいるんだと言われた。 夕方は大阪から支援に行っている方からのお話を聞きながらお食事をしました。 本来、日当とは別な危険手当込みで支払われ、危険手当を除くと最低賃金を下回る状況もある事が話されました。 寝る前に近くの温泉に行く。 一人220円のかけ流し日本3大古湯の一つだと言っておられた。 イオウの匂いがあくる日までした。 4月24日小雨 良く眠れた。 この日の目的地 浪江の「希望の牧場」に向かう。 教えて頂いた高速は使わずに行く。 途中、雪がまだ道の横に残っていて 水が集まるところでは16ミリシーベルト、という数字をガイガーカウンターは表示をしている。 途中2度ここからは入れませんと言うところに遭遇して引き返した。 この在所には人がまったく住んでいない、と言って、そこを訪れる人や戻って来る人の世話をしている監視プレハブがあって女性2人と男性2人がおられ、この地域には人は住んでいない。役場も仮の別なところに行っていると言われた。 桜が満開だった 衣類やミカンをもらって頂いた。 そこに パトーカーの若い警察官が帽子を取って入って来て 警察官の寄せ書きがいっぱい張ってある壁を背に 長野県警から70人が来ていて5月1日には帰るんです と嬉しそうに言っていた。 その一人は 来月子どもが生まれるんです、と初々しい顔で行っていた。 南相馬から右に曲がってここからは入れません、と言う、そこに「希望の牧場」はあった(表の写真)。 「牛は 生きたガレキ」である という初めての言葉を聞く 生かしていても決して商品とはならない、ただ生きている意味の無い牛に意味を持たせたい、と熱くすぐそばを悠々と歩く牛との共生空間で吉沢正巳さん(写真)お話を聞いた。 まったく違う世界に感じた。 ここが世の中を救う様な気がした 意味の無い、とされた命が いきものとしての人間のあり方を問い、いのちある人間を救う。 放射能の線量計は3ミリシーベルトを指している。 ここには350頭の牛が「生きて」いる。 ここに来る途中の家には人が住んでいない。 もうここにはもどれない、という言葉もあった。 そういう中で戻ってくる人もいる、ともいう。 この牧場のある地も 今は戻れるが、もどれない時期もあったという。 もどっても、米はつくれない、コメが作れないということは野菜もつくれない。 果物の作れない。梨もつくれない。 つくっても売れない。 そういうところになってしまったんだ。 国は牛を殺せという。 殺せないと言って 牛と生きている吉沢正巳さん 牛と、この人が 「住めなくなった土地」に生きて ほんまに現地から原発事故の現実を 昨年、北海道に行った時に偶然、軽四の街宣車で吉沢さんがしゃべっておられた。 その時はそない後に残る様なことは無かった。 それが先日、経産省前で会った。 あの時のー。 から引かれ出し、今回 訪ねる事になって、急に接近した。 来るまで想像が付かなかった。 原発事故が生み出した。 原発事故から立ち上がる、立ちあがった しかも「生きたガレキ」として、されて生きている。 ここから原発を考えよう、と 『「原発一揆」警戒区域で闘い続ける“ベコ屋“の記録』 と 吉沢さんの事を書いた本のタイトルである。 発行所株式会社サイゾー〒150-0043東京都渋谷区道玄坂1丁目22-7☎03-5784-0791 発行者揖斐憲 著者針谷勉 「殺される為に生かされてきた」 牛がその「目的」それすらもされなくなって、「生きたガレキ」として「牛は生きている。」 国によって捨てられてきた、人々の歴史が 生きたガレキとして、と吉沢さんという 生きた人の行動によって 真に人の生きる意味を 世の中を この現場から発信し続ける意味は決して小さくはない。 いのちの いのちからの誕生である。 この状況を見て癒される、という。 殺されていった牛の願いとして 今、希望の牧場30ヘクタールのここで3人の努力で350頭の生き物が生きている。 死して生きる 信に死し願に生きよ、 と言うのは 私の師しょう 曽我量深(りょうじゅん・1875年~1971年)の言葉である。 南相馬市の桜井市長にもアポ無しで 面会できました。 十分な報告とはなっていませんが とりあえず4月22日夕方から 25日7時半 2000キロを走って帰ってきた報告です 報告会を4月30日火曜日18時から ナマステでおこないます。 一緒に行った、3人は初めての方、一人は2回目、私は5回目でしょうか からのお話をさせていただきます。 10時から議会改革懇談会があって 決めれるものから決めていきたい、と言って 堀口武視会長が 議場に国旗を揚げたいと言って 先週決める、と提起し、この日の議論となった。 私は他の一人会派の3人は賛成しているが。 私反対である。 あげる理由に、国民であるなら国旗を尊重すべきで と言う事で、反対するものを国民ではない、という様につかわれる。 公の場に思想信条に関わるような国旗を議場に掲げるかどうかを採決ですべきではない、と言った。 共産党の大森幹事長も反対をした。 しかし堀口会長は採決を取り 公明党の中尾、新風立志会の田畑、拓進クラブの木下=幹事長は賛成した。 堀口会長は南議長に6月議会に議場に国旗を揚げる様に答申する、と言った。 議員報酬を3万円引き下げ47万円に、 政務調査費を2万円引き下げ3万円にする案に 共産党の大森幹事長は 全会一致が望ましいとする会長の意向には賛同するので、議員報酬は5万円引き下げ(私もこの案に賛成、と言い、みんなも5万円案に乗ればいいのではないか。中を取ってという事も必要である、と言った)の調整で、もう少し話し合いを、と言ったが中尾幹事長は話し合いの余地は無い、田畑幹事長はこれ以上の話し合いは意味がない、と言い 堀口会長は 3万円引き下げ案で答申すると言った。 引き下げ期間は2年とし 元にもどさないことを前提に、さらに継続か、引き下げを前提に見直しをすると言った。 この答申は 南議長が受け、代表者会議にかけられ、議会運営委員会で議論され、出されれば、6月議会に提案されることになろう。 尚、フオレストの森裕文議員は引き下げには反対と言っている。 国旗については 議案とはならないだろうし、どのような根拠で掲揚と言う事になるのだろうか。
by koyama_h
| 2013-04-26 09:56
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