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今年もちゃんと我が家の柿に新鮮な若葉が音づれて頂き麻した。 こんにちわ、ナマステ、なんまんだぶつ。 昨夜はドイツからのお客様と難波のスイスホテルの36階でお食事をしました。 そのあと「シチズン」で緑の大阪のなみほさんと前川さんとの語り合いがそのドイツからのお客様、ミヒャエル・シュレーヤーさんとの対談の収録(写真)に参加しました。 地方議員100人近くと市民の1000人ほどが昨年7月に立ちあげた[緑の党Greens Japan]が 脱原発をかかげて7月の参議院選挙に挑む為の世界の緑の党との連携suruもようしです。 私は 福島原発の事故と津波によってこれまでの社会の在り方が根本から変わらざるを得ないのではないか、ということを ミヒャエル・シュレーヤーさんにお聞きした。 地震と津波については日本が詳しいでしょうから考えて下さい、と言われました。 その通りです。 仏教の前提とする世の中のあり方も変わってこざるを得ないものではないかと思っている。 私の思考は仏教である。 『世間は虚仮』、という仏教の世間認識も見直しが必要になってくる。 今日の新聞に、と思って探したんですが、無い、どこだったかな 絶望するには余りにも良い人がいる、希望を持つには余りにも悪い人が多すぎる という様な言葉だった。 その内に見つかるか、思い出すと思うが そいう言うことなんです。 絶望するにはこんな素晴らしい人がおるということで何とか立ち上がれる。しかし、希望を持ってとなるとそれをはばむ壁はあまりにも厚すぎる、のである。 原発は権力者にとってもやかいなものではないか。 権力は民衆によってはなかなか破れ無くても、原発事故は、いや事故が無くても解決のできない廃棄物の処理は出来ないのであるし、政権そのものをひっくり返すのだ。 『放射能は強い、誰でも差別しない』という歌を思い出す。 人間の手には負えない放射能は原理的に人間の階級社会を平等なところにたたしめる。 脱原発で人々は共に手をたづさえなければならないのだ。 そこまで来るとやっぱりブッダの悟りとなる、な。 原発事故は明らかに人と人との、支配と被支配の関係を根本から問う。 命は繋がっている これ仏の悟りなり。
by koyama_h
| 2013-04-16 12:13
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