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![]() 今日7日2時から 平井正治さんをしのぶ会が 『僕はむしろ40年間抵抗してきたんやから、できることなら、無縁仏にしてほしい』と言っていた(たぶん藤原商店発行の『無縁声声 日本資本主義残酷史』の中で語っている事だと思う)事から無縁墓地のそばの阿倍野区民センターであり行ってきます その案内に ≪平井正治さんが今年2月8日に逝去されました。1927年11月生まれの83歳でした。最後の年の平井さんは、医療を拒否し暖房も止め、人を近づけませんでした。ただ一人でひたすら「去る日」に向かって日々を過ごされていた様な印象を持ちます。 思えば、平井正治という人は不思議な人でした。労働者であり、闘う人であり、支援する人であり、告発し批判する人でありました。また民衆史を歩く人、釜に住み続けた人、菊正をこよなく愛した人でした。話や助言を聞きに来た人には、それぞれの立場を配慮して話をされる方でもあり、その気配りとも言える多様な接し方が、かえって私たちに独自の人、不思議な人という感覚を持たせたのかもしれません。≫ 集まってくる方々もそれなりに平井さんを現す『平井正治』でありましょう。 人は、命は、必ず「死ぬ」という事を抱え持っています。 私は死んだらもう無くならない命として生まれると言う事を最近、人の死に出会う時思っている。 生きている人との出会いはどこか落ち着かないもどかしさがある。亡くなった人との出会いは永遠に死なないその人として安心して出会っていける実感を持っている。 こうして書いている今も、平井正治さんはスッーと私の中に入って来て、優しく、厳しく全てを見通しで(これはが良いのだ)、『何しているんよ』、といって一心同体となって離れず生きている。 なくなった平井さんはもう無くならない。 これからも無くならない永遠の命を持ってあい続けれるく関係(誕生)に成りました。 「死は賑やかである、生は寂しい」 ![]() 平井正治さんは私が初当選をした時(47歳の時やから20年前である)の炊事班責任者、全体の「まとめ役」で存在そのものが、それだけで役割を果たせる存在感を持って7度目にして私の当選を実現した大功労者である。水の無い、設備の不十分なところでの大量の食事作りの手際良さは抜群で大いに自慢をされていた。 このうまい食事づくりが初当選に大いに興を添えました、楽しかった、昨日のように蘇る。一つ一つが理にかなっていた。 その上に不肖ですが現在の私の全てがある。 これからも宜しく永遠の出会い語り合いを続けて行きます。 そして私もその永遠の命に生れて行く楽しみを抱いてこの苦難な思い通りに行かない(それで良いのですが)世の中を歩んでいきます。 南無(私)阿弥陀仏(平井正治さん)
by koyama_h
| 2011-05-07 08:59
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