以前の記事
お気に入りブログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
今郡山(こおりやま)、寝ていないけど、2人とも元気よ 2011年4月29日午前6時42分 電話を入れると中野一彦さんが電話から声が聞こえて来た。 これからどこに向かうん 一之宮から気仙沼に お気をつけて ナマステの前を少し変えて飾りつけた(写真) ちょっといつも変える、は向井孝さん(老いやん、と呼ばれていた、その方が似合うすごい人で詩人でもある)の発想 荘厳(しょうごん)した 思いを形に表すのが荘厳(そがりょうじゅん)と聞く 形を通してその信(まこと)の世界をイメージする豊かな感性がはぐくまれるという。 イメージは自由で豊かでまたその逆も当然に生じさせる。 逆もまたしかり ボッと投げ込んであったのを見て、生けていただいた華がその人の人生を荘厳して今日音連れる、音連れない方の分までも、この場で荘厳する事業が創造される。 場こそ有難い、場がある事はおおきに、今日わ、ナマステである。 浄土はそこに生まれるものを覚者(仏)、解脱(全くの自由・平等・融通無碍な状況)者とする。 人は環境的存在なり。 今日は ヨッシャー伊江さん が夕方5時ごろ行くよと昨日連絡が入った。 楽しみにしています。 ギターのうまい弾き語りの66歳の好おじさん万歳である。 おいしいチャイといきたいところですが、僕はビールが好きでんねん、と言われて缶ビールをと言うので、わたしはカンはダメですよ、瓶で、それも最高に高いモルッをおいてまんねん、と言ってそれを飲んでいただいています。 ヨッシャーさんに『こんな女にだれがした』を歌わせて、この歌が好きだとぞっこんの私より一つしたのやかましい音楽は嫌いだというこの方がヨッシャーさんのギターはこれはうまいうまいと連発しどうしである。 若いギターマンもこの人のように弾けたら、とはじめて行った時に私の前に座っておられて、とてもこんな若者には受け入れられないだろうと思い込んでいた事が逆に感心させられる事になったのであるが、うまいんや、と私は思った事であります。 と思って聞くと確かにうまい。 しかしやっぱり、私はすんまへんと唄の最後に、途中で言うこの方の人柄にぞっこんであります。 きっと今日も場が喜ぶひとを誕生させて知らん顔をしているんでしょう、ニクイネ。 人間はこうはいきません。 好きな 降る雪を手にしてみれば消ゆるなり、空に降らせて我がものとする、 これですね この歌はもうなくなった『仏を見ようと思うたらこの西本を見よ』と言って、東本願寺の役職を首にされた人、西本文英さんから聞いた言葉です。 この言葉で具体的に仏に触れた人がおられたのである。何か仏と云うと自分から離れたものという誤解がある。仏になる、人間が、自分が成るもの、容易に簡単に成れるもの、ならさないのは雪を手に取る根性だけである。 闇と光るは松原原潜の言葉 自分がではあんく自分を信じるは曽我量深の言葉 生きていたら90歳になる母貞子(7年前にさいならーと亡くなって往った)さんは 『お前の選挙に出るのはショん便がしたくなったようなもんや、と云った 言葉に生きている面々は 今も時々ひょっこりと目を覚まして此処にいます、と生きている。 とにかくこの方は座談会の名人で、人に語らせる名人でした。 東本願寺(親鸞世界が)が生き生きするには、語り合う、座談会が肝心と言っていた様に思っています。 それを大事にした創価学会であるとも言っていた。 このナマステも西本文英精神(語り合い)が生きている場である。 お越しください。 なむあみだぶつ 木造より絵像、絵像より名号と 言葉になった仏さん。 形ある物の最も形無いものに近い形が言葉である。 今回の「震災」も一切を人ごとにせず自分の問題として真の人間(一切を受け止めて立ち上がる)に帰らなければならない。
by koyama_h
| 2011-04-29 08:02
|
ファン申請 |
||