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今、鳴滝の浄光寺の菖蒲(しょうぶ)が見ごろである。
一つ一つが同じではないが同じようなところも当然にある、妙(みよう)という以外にありませんナ。不思議、不可思議、これって判らんというだけの意味ではないようである解ったことをこえる判ったという意味なんでしょうな。 私たちは不思議の世界に生かされています、とも言えましょうか。 扉を開けて! どうしてこんなに自然は素敵なんでしょうか、いや自然だからこうして素晴らしいンやろう、どうして、というところに人間のおごりが垣間見えます、ゴメンなさい。 じっと華の一つひとつを、またボーッと全景を、そうすると寺の造りもまた素晴らしい。 甍(いらか)日本がわらの美しさ、風景ですな。 花がまっています、訪れてください。 旧26号線の「鳴滝」の交差点を東に入った直ぐです。 掲示板の「安穏」の大字もいい。 「兵才(この字があっていたかどうか、兵器という意味の字)無用」 ひようがむよう 仏教の理念で暴力、武器を否定した思想の様ですが、おるお経(大無量寿教=だいむりょうじゅきょう)の中でその願いの最初に国に地獄・餓鬼・餓鬼がない世界を国を課題としています。これを藤元正樹師は人類の課題であるといわれています。願いというようなものは宗教以前である、ともいっています。 つまり人間の課題を見つけてといっています。この課題が見つかるということが人間の救いではないのかともいっています。 日本の憲法9条の、戦争の為の武器を持ちませんということとも関係があるのかもしれません。 そういう点で私たちは答えがという前に、ほんとうの課題が見つからないともいえるのではないでしょうか。 そういうようなことが、この菖蒲に誘われて考える、ショウブから願われているのかもしれません。 それは安穏という言葉に込められているものかもしれない。
by koyama_h
| 2008-06-07 06:43
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