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続けている第4土曜日のビラまき、和歌山カレー事件はえん罪です。
裁判での資料を基に書いています。 事件は15年前に起き、4年前に死刑が確定している。 今日は林真須美宅にあった入れ物(事件後2カ月がたっているのに犯人なら家にはおいておかないはず、証拠ねつ造が十分にあるものだ。この間に和歌山県警は証拠のねつ造が少なくとも8件はあった、と報じられてもいるが、カレー事件ではやっていない、と言っている、信じられますか?)についていたものと、4つあるカレー鍋の2つに(この事は誰かを殺そうとしたことではない客観的な事実である)入っていたヒ素の成分が同じだった(中井泉教授は)として有罪とされていたのですが、実は違っていたんだ、という検査結果が京都大学の河合潤教授の分析で明らかになった、という記事を掲載しています。 一人の先生の評価を是とするのは如何なものでしょうかね。 しかもこの先生は評価にあたって、悪は裁かれなければならない、という考えを表明していたと言うのですから、科学とは相いれあに態度ではないでしょうか。 科学に善悪の価値観があっては科学は成り立ちませんよね。 7月20日12時から 大阪の御堂会館で「死刑弁護人」クールがみた和歌山カレー事件、と題してその死刑弁護人の映画と、監督、クルーのですかッション、林真須美さんを支援する会代表の鈴木邦男さんのお話、和歌山カレー事件再審弁護団の話があります、ご参加ください。 和歌山カレー事件について一緒考えてください。 えん罪は私たち主権者である一人ひとりの問題です、と言ってビラを配りました。受け取りは大変よあった。人も多かった。 「IRANAI」と自転車を立てて一人の青年が立っていた(写真)。紙芝居!、と訪ねると意思表示です、と言っていた。 こういう人が生まれて来ているんだ。 希望を持つには壁はあまりにも厚すぎる 絶望するにはあまりにも良い人が多い という言葉があった。 その言葉を思い出す。 この方に感動である。 脱原発とは実際こういうことなんだ。 殺された者の身になって、ともう林真須美さんが犯人である、なければならないと疑わない言い方で言われていた人があった。 だからと言って林真須美さんがやっていないのにやったとしていいんでしょうか、とやんわりと冷静に対応したが、遺族の気持ちになったら、と繰り返された。 事件を繰り返さない為に事件から考える、学と言う事がせめて出来る事である。 やっていないのに殺してしまってはさらに罪を重ねる事で亡くなった人も浮かばれない。 警察のずさんな対応が世の中、曲がりに曲がって人の心の中に沈殿し、その人を決定していく。 えん罪は警察組織の非民主義的な体質が引き起こすものである。そこには警察官の人権もない。 真実とは難しい、しかし無くてはならない真実は生きる希望でもある。
by koyama_h
| 2013-06-23 10:20
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