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土曜日、5日の昼前に泉南を「スーパーカブ70」で出て、加古川に向かった。
途中、兵庫区の本町公園に寄った。 震災の雰囲気が残っている、集会場もそのまま、遊具も昔のまま、金網で囲われた広場も。あの時の震災後の状況が思い出された。 帰って様子の写真を載せます。 {とにかく炊事をするところをつくりたいからお前は大工だろうから一式を持って来てくれ}と言われて、とりあえず2トン車のロングボデーに一式を積み込んで駆けつけた。 支払は、と後で言うと、 神戸市に出しておいてくれ、と言われ、あんたんどこの市民から言われたので、といって最終的には払っていただいた。 それから {1人の被災者も見捨てない}と言って、やっている兵庫県被災者連絡会が今年も私も一部手伝った金城実さんが描いた鬼の顔の前で1月17日に1日をかけて神戸市役所前でぜんざいを振る舞い、チョウバクさん、おおまきちまきさん、岡本民さん、エイサー等がずーつと来て盛り上げていて、最後に和服の着流し姿の宗次郎さんが・・・節を語る。 いつもあのとき以来、茶いろの革ジャンばりコートを着て、どこからでもおつれあいとわかる姿のそうじろうさんのおつれあいに聞くと{そうです}とおっしゃっておられた。 やっぱりな。 この日はそうでない普通の姿のおつれあいで、プレハブのあの時のまんまの事務所にお寄りしました。 宗次郎さんは山内徳信さんが大阪に来ておられるという事で出かけておられた。 何を飲みます、と言われ、牛乳をいただいてしばらくお話をした。 かって昔、須磨駅前での女性候補の応援できた時にあった事務所を懐かしく思いながら海岸横を通り天文台を見ながら走った。 加古川に入って 浜の宮の事務所についたのが5時を回っていた。 この日から3泊ここの「選対長」の自宅に泊めていただくことになった。 前に来た時の「元気なお母さん」のお好み焼き屋で、ビールを頂きながら関東から来ておられた候補者のお母さんと、私たちが楽しく参加させていただいているんですから、そんなに済みませんと言わなくてもいいですよ、気を使わないでくださいね、とお話をした。 6日は告示日の雰囲気を味わい、ポスター貼りの人たちが一斉に出かけ、最後の組は3時過ぎまでかかっていた。 私の時も7時間歩いてかかったことを思い出す。 私は昼の間の30分と、夕方6時から選挙カーに乗ってマイクを握った。 ワイシャツでは寒かった。 今日は6時半からの朝立ちに行ったが、あまり人数が多くない方がよいともったのか、事務所で休んでいてくださいと言われて、素直にしたがた。 年寄りへの労わりでもあろう、有難い。 朝からの乗る予定だったが、人数がおって昼から{参議院選挙に出る人とペアでの街宣になるかも}という事で私は今こうしてこれを書いています。 明日昼過ぎに帰ります。 菅直人総理は意外と長続きするのではないでしょうか。 ある意味で 小泉さんのときと同じようで抵抗勢力を仕立てて、仕立てられた側もそれなりにその役割を担っているし、である。 普天間基地問題でも日米合意は守る、と言ってみたりで、結構したたかに市民を前面に、後じんに位置付けながら、「市民の政治」をやるのではないか、いや、やる以外にないであろう。 そういう意味では歴史的な時代、流れに立って市民運動家、一匹狼としてやってきた菅さんの面目やっきというところであろう。 と思っているのですが、如何でしょうか。 千葉法務大臣の留任がうれしい。 相対的には好感です、私は。 そういう点では 鳩山さんの「チョウ理想主義」が、最後に、あなたも辞めて、といったところで大きな役割、大そうじを行って、菅さんは何でもやれる状態のうえで首相に成った、ということであろうと思っています。 鳩山さんのおかげで、それに小沢さんのおかげでも。 これまでの首相は数の多数の中でやってきたから、論理を磨くことが必要でなかった。 その点そういう、一人だった菅さんは理論を鍛えなければならない立場であった故、理論的素質が鍛えられたのではないか。 そして国民、市民という立場にこそ根拠をおいてやらざるを得ず、それが日本国民の立場を優先した対外交渉のやり方になって 憲法9条を立場としたものになるであろう、と私は秘かに期待を抱いているのです。 私の 田中真紀子首相、の予測はは連れました。
by koyama_h
| 2010-06-07 10:02
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